あるいは佐々木ユキ 公式blog

A Fairy Tale
福間健二監督作品  2013年/HD/カラー/79分

カテゴリ : 上映レポート

アップリンクでの『あるいは佐々木ユキ』上映も、終盤を迎えました。
4月17日(水)のトークゲストは福崎星良(ふくざき・せーら)さん。今年2月に開催された第5回恵比寿映像祭で、唯一の学生作品として彼女の『Come Wander With Me』が選ばれて、大きな話題になりました。
星良さんは、小さいころからインドへたびたび長期滞在し、高校時代にアメリカ、カナダのアートスクールに留学して、4年近くを海外で生活したという経験の持ち主です。帰国してからは、早稲田大学川口芸術学校に進み、この3月卒業したばかり。イラスト、ポスターデザイン、ビデオアート、ミュージックビデオ、映画、アニメーション、ドキュメンタリー、写真など、その活動はジャンルを超えて幅広い表現をめざしている24歳のすてきな女性です。
今日のトークは、恵比寿映像祭よりも早くにアップリンクでの『Come Wander With Me』の上映を手がけた藤井裕子支配人が、福間監督と星良さんの「ある共通性」にかねてから着眼していたことが、実現への運びとなりました。

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トークは、星良さんの『あるいは佐々木ユキ』への感想から始まりました。
「『青い家』の詩が朗読されるくだりで、涙が出ました。ユキと同じような気持ちを、自分も抱えているのだと。この映画は、女の子の女性的な映画であると同時に、福間監督の目線が包みこむ男性的な映画でもあると思うんです。大人が見ている、まわりがあたたかいなあと」。
「あそこの詩の流れるシーンは、ユキのかなわない恋や孤独な気持ちが表面的には見えていないけれど、この世界には悲しいことがある、そういう表現にしたくて、あとからこの朗読を入れたらぴったり合ったんです」と福間監督。
「福間監督は、ユキや他の役者たちと話しながら進めていくとか、現場にあったものをとっさに使うとかということですが、それ、いいなあと思う。『ユキ』のなかで、女の子が遊んでる感じがあちこちにあって、でもそれだけではなくて、少女と大人の両方が存在してる。遠くにあるけどじつはそこにある、はっきり見えないけど暗闇の中にある、そういうところがいいです」。星良さんの声は、やさしくて、とても落ちついています。

福間監督「ぼくの映画は、星良さんの作品に比べたらふつうの劇映画だとも思う。劇映画にあこがれた自分があって、そこから抜けられない気持ちと、もっと自由にやっていい気持ちに引き裂かれている。表現はひとつのトーンで統一されているより、グラデーションが起こっている方がいいと思うんだよね」。
「詩を書くときと似てるんですか?」と星良さんの、勘のいい質問です。
「だんだんそうなってきている。なぜ詩なのか、なぜ映画なのか。きちっと描写すること以上に何ができるのか。詩は、物語を暗示する。民話や童話はきちんとかかれていなかったりするけど、それでいいんじゃないかと。映画を編集する過程は、詩の推敲と変わらないかな……」と福間監督。
「詩を読んだあとのような印象があります。映画的であったり、詩の未知数なところであったり。日常のリアリズムと、映画のリアリズムと、詩のリアリズムがある。その自由さにあこがれるところもあります。劇映画の現場に2か月いたのですが、すごいなあ、素晴らしいなあと思う反面、やっぱり自分はホームムービーもやりたいと引き裂かれたり……。『ユキ』はその中間にあるのかな」と星良さん。

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星良さんの作品を見せてもらって刺激を受けた福間監督は、ツイッターでこう言っています。
「福崎星良監督の55分の作品『Come Wander With Me』と13分の作品『Neon Lights』。宇宙があって、世界があって、リアルとファンタジックの両面をもつ東京があって、人それぞれの生きている場所がつながりあっているなかに、生きることへの問いかけがある。星良さんの作品を見て、まず思ったのは、自由にやるっていろんなやり方があるんだってこと。ぼくたちが、ひとりで生きているわけじゃないと同時に、国や言語の枠に縛られることはないということ。そして、ジョナス・メカスを視野に入れたところから、もう一回映画を考え直してみようということ。」

星良さんは言います。
「『Come Wander With Me』では、自分で自分のことを語っていたり、人にセリフを渡して自分になってもらったりと、何人もの自分を登場させています。ユキが『佐々木ユキです』と3回言うところ、自分を確かめる以上に、ユキが何人もいるようなところが、似ていてびっくりした。ユキがわたしでもあったり、あの子でもあったり、bでも、ブタでもあったりする。孤児ならよかった、もふくめて、監督は女の子のことがなんでわかってるんだろう? 若い女の子をよく観察してるのかな……」。
すると福間監督は「観察してないんです。自分が若いときと変わってないからかな。ぼくは若いときから親の存在について疑問があったから、孤児だったらよかったのに、と思ってるところがあった。自分にもし子どもがいたら、子どもが18歳になったら100万円あげて放り出せばいいと思ってる」。

星良さんは『ユキ』のことを、「お砂糖菓子の時代」というタイトルで自分のブログに掲載してくれています。
一部を引用させてもらいますね。
——女の子の少女期のころ、あるいはもっとあとの、チョウチョの羽がまだ羽化したばっかりの、まだ模様も色もハッキリしてないし、でもひらひらちゃんと舞う事が出来る、あのうす白い感じ、というのでしょうか、ゆらゆらしていて透き通っているのに、向こう側が見えるようで見えないような、ナイフを背中でかくして研ぎながら、もう大人の世界も知ってるんだけど、処女性も、母性も同時に内在している時期。世界と自分の隙間を真っ正面から眺めてる、そんな時代の淡くて、「永遠のあこがれ」の時代。——

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「わたしは八王子が実家なので、あのあたりのふんわりした景色がなつかしかったです。クレジットに撮影日が出ていましたが、震災前に撮影したんですね。震災後に構成もしたんですか?」と星良さん。
「モノレールからの景色だけの部分は震災の1週間前に撮った。編集は、前作の『わたしたちの夏』も『ユキ』も震災後なんだけど、モノレールにかぶせて千石先生が過去を語り、ラストでモノレールから見える空の光、これは過去から未来、つまり3.11以後へとつづくものだと、編集の過程で自分で思ったんですね。映画は撮ったあとも表現がつづいている」と福間監督。
「震災後、メッセージ性の多い作品がたくさん出てるけど、『ユキ』はメッセージ性がないのがよかった。『Come Wander With Me』は、3.11のあとに撮ったんだけど、帰国子女や外国人の友だちは日本を離れるし、全部揺らいで、プライベートなことでも揺らいで、どうしたらいいかわからなかったけど、とりあえずカメラを回した」と星良さん。それがあんなに素晴らしい作品になったのですね。

あっという間に、トークも終わりの時間を過ぎています。
星良さんの話、もっと聞かせてもらいたかったです!
大学を卒業したけど、就職できなかった星良さんは、「日本をあまり旅したことがないので、しばらく北陸をバックパッカーでまわる」そうです。次の作品の糸口をきっと見つけてくることでしょう。

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星良さんと福間監督。年齢差は40歳もありますが、自分の表現の自由さと幅を求めてやまない気持ちはとても近いものがあります。これからもお互いを刺激するような挑戦をしていってほしいですね。
福崎星良さん、今日はほんとうにありがとうございました!


福崎星良さんの作品と予告篇は以下から見ることができます。
http://www.facebook.com/l/3AQHRPybiAQEk7oIwcXQJ3tifvQeiwN-6EVAAnivAzapZ-g/https%3A%2F%2Fvimeo.com%2Fuser1964706%2Fvideos

http://www.facebook.com/l/-AQHfjCtHAQHlyi0KNMwWwyQacCFVEV-QCm4UzcGWK0wXUA/www.youtube.com/watch?v=mSaLb4aXHC4


宣伝スタッフ ぶー子
写真撮影   加瀬修一




4月13日(土)は、監督の福間健二さんが舞台挨拶されました。
劇場はほとんど満席の状態。当日の司会、名古屋シネマテークの平野さんに促され、福間監督は終始率直、かつにこやかなもの言いで、映画の始まる前と終わってからの2度挨拶にたち、客席からの質問・感想にも長い時間をとって丁寧にコメントされていました。

まず、この映画の成り立ちには「とにかく佐々木ユキ役の小原早織さんの存在が大きい」と福間監督。そして、「タイトルにある佐々木ユキという名前は、ほかの名前であってもいいわけです。20歳くらいの年代の若い女性の一人の名前の象徴ですから」。
その若い女性が親から離れ、大人になっていく過程があるとすれば、大人になる前までの姿、「妖精時代」と言ってもいいかもしれませんが、そこまでをいくつか重なり合うような映像で描ければよかった、ということを監督のコメントから理解しました。そして、そのために「ユキ」はひたすら映画の中で見つめられなければなりません。
「ただ、知らない人が女性にでも子どもに対してでもですが、近年相手をじっと見つめることが、街の中でできなくなりました。また、そういうムードが覆っています。でも映画の中では、誰でも主人公のことをじっと見つめることができますよね」。
福間監督の実直な言葉が響きます。

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そして、まじまじと20歳である主人公の魅力を凝視するようにして完成させたのが今作。20歳の女性の妖精時代の終点間際と、それに接続する種々の世界(たとえば文月悠光さんの詩世界や千春さんという大人世界)を短冊のように織り込んでみせた自信作であると思われます。

配役にもどると、小原早織さんは福間監督の前作『わたしたちの夏』にも出演され、そのときの好演・印象が大きかった様子で今作では主演に抜擢されています。ただ、小原さんは監督が教える大学に在学中で、「2011年1月中頃からはフランスに留学することになっていました。撮影は1月の留学直前までとなりますから、そこから換算していって撮影期間は全部でおよそ6日間。正確には5日と半日ですが、その時間内に、すべての撮影を終了させることになりました」。
ちなみに『岡山の娘』は1か月近く、『わたしたちの夏』は2週間くらいで撮影したとのことでした。福間監督としては「これまでの中、最速で撮った映画」であり、「短い期間で映画を撮ってみたいと思っていた」ことも述懐。監督にとって「最速撮影」の意味にはたぶん、製作コストが圧縮されることも含まれています。

客席からの感想では、「これまで福間監督の作品をみた中で一番安定感がありました。安定感の意味は、これが自分の映画(福間映画)だという実感ができたからと思えます」に対して、「この映画に安定感があるとすれば、撮影を担当した鈴木一博さんはじめ編集、音響ほかそれぞれの担当の方の成果がとても大きかったと思います」と返す監督。

また、たまたま手にした案内チラシをたよりに初めて劇場に足を運んだという方の質問は、「福間さんが詩人だということを映画案内に書いてあってそれを初めて知りましたが、この映画を詩としてみるのがいいのか、それとも映画としてみるのがいいのか。福間さんの映画の見方を知りたい」。
これに対しては、詩には文字があって作られ、映画には映像と音があって作られと表現の形に違いが出てきますが、「自分としては映画も詩を書いている人間としての作品だと思っています」と監督。詩人としての映画表現であることを告げています。

ほかでは、「映画の中に入りづらかった」という声もありました。一方、「わかりやすかった」と上映後に語る方も。
「ある時期ゴダールにとって女優アンナ・カリーナが美の女神だったように、福間監督にとって小原さんは、ミューズとの出会いだったかもしれませんね」とは、質問・感想には名乗りをあげませんでしたが、当日の客席にいた方のコメントです。フランスで撮影した女性のポートレートが縁で、日本の雑誌で写真を撮るようになったカメラマンさん(日本人)だそうです。
ほか、客席には詩人の瀬尾育生さんなどの姿もありました。

上映イベント後、監督にサインを求めたり感想を伝える列のかたまりができて、寡黙な雰囲気ではありますが、全体に静かな熱気が感じられる会場でした。


レポート ういろうエイト
写真撮影 永吉直之





『あるいは佐々木ユキ』の東京での再映の初日。4月6日土曜日、渋谷アップリンクXで、アンコール上映がスタートしました。
初日はあいにくの悪天候にもかかわらず、劇場に足を運んでくださった皆さん、ありがとうございました。

東京にふたたびもどってきた『あるいは佐々木ユキ』。上映後、初日舞台挨拶として、福間監督、主演のユキ役の小原早織さん、香山和久/K 役の籾木芳仁さんが登場。終止なごやかなで、ゆるい雰囲気で「ユキ」の映画をめぐる3人のトークが始まりました。
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まず、出演した二人に監督が、改めて作品の感想を聞くと、「撮影しているときにはどうなるのか全然、想像もつかなかったのに、編集され、音がついた作品になって、へえ、こうなるんだって、とても新鮮に感じました」と小原さんが答えると、籾木さんも「ぼくも、撮影の時には、これがどうなるんだろうって思っていたシーンが、実際に作品となって観ると、編集と音がついて、美しい音色を出していることに感心しました」と、やはり、撮影のあとに続く編集によって完成される映画の醍醐味を語ってくれました。

これを受けて、監督も、「この作品は、撮影の鈴木一博、編集の秦岳志、音響の小川武の三人の優秀なスタッフに支えてもらった」と。
また、主演の小原さんには映画を組み立てるうえでいろいろとアイデアをもらったという監督。作品に登場する「佐々木ユキ主義」の大半は小原さんのリアルな「主義」から半分以上はもらったのだそうだ。
ほんとうは映画の撮影が終わったあとに、実際にフランスに留学した小原さん。映画のなかでは、そのフランスから帰って来たという設定になっていたそうだ。
映画のなかで、小原さんがフランスで撮影した写真も使われていた、というエピソードも含めて、製作の裏話も披露してくれました。
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小原さんは、「なんでもつめこめるのが映画。福間監督の映画では、詩とか言葉とかがつめこまれていて、それがとても自由だなって感じました」。
籾木さんも「福間監督の感性とかがぎっしりつまっているこの作品。どっか心にひっかかる映像があって、変な言い方ですが、それは目をつぶっても観ることのできる映画だし、何回、観ても発見のある映画だと」。
「目をつぶっても観ることができる」映画、という彼の感想にはびっくり。
確かに、そういう観客の感性をくすぐる映画における音の響きのようなものを持っている映画なのかもしれませんね。
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3人のトークは、「映画はやっぱり人間が作るもの。だから、枠にとらわれることなく、いろんなことができる、もっと自由になって、これからも映画を作っていきたい」という監督の抱負も語ってくれました。

初日のスタッフ打ち上げでは、今年の4月に社会人になった主演の小原さんの職場の同期の遠藤萌さんも参加。遠藤さんは瀬々敬久監督が大好きな映画通。福間監督とも大いに話しが盛り上がり、次回作以降、起用しようかなって、思わぬ展開にもなった夜でした(笑)。


宣伝スタッフ:伸之介
写真撮影:ぶー子





福間健二監督作品は、初めての神戸での上映。それも、膨大な量の映画に関する貴重な資料とフィルムを所蔵している神戸映画資料館で、ここにふさわしい上映を実現していただきました。福間監督の『あるいは佐々木ユキ』までの4本がまとめて上映される機会は、とにもかくにも初めてのことです。
2月15日(金)から19日(火)までの5日間、『急にたどりついてしまう』(95)、『岡山の娘』(08)、『わたしたちの夏』(11)、そして今年1月に封切られたばかりの『あるいは佐々木ユキ』の4作品。旧作はそれぞれ3回、『あるいは佐々木ユキ』は8回上映されました。土日は、一日通して見れば、4作品すべて見ることができるという、うれしいプログラムです。

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さて、福間監督は16日土曜日17時半、JR新長田駅からほど近い神戸映画資料館に到着しました。世界各国のフィルムセンターに行かないと目にすることのできないような古い映写機が展示してあり、日本の古い時代劇のポスターがあちこちに貼られています。
そんななかに、『岡山の娘』『わたしたちの夏』『あるいは佐々木ユキ』のポスターが飾られ、ビデオモニターでは『ユキ』の特報と予告篇が流されています。ちょっと夢をみているような気分です!
この日は18:30の『ユキ』の回上映前に、ポレポレ東中野で大好評だった福間監督の朗読を聴いてから『ユキ』を見てもらう試みを資料館でも行ないました。やはり好評でしたね!

そして翌17日日曜日、福間監督は午前の回の終わりから資料館でお客様をお迎えし、上映中は長田の街を探索して(「新しいシンボル」鉄人28号も「古いシンボル」マルゴ市場も!)、16時15分からの細見和之さんとのトークにのぞみました。

トークのタイトルは「詩から映画までを生きる」。お相手の細見和之さんは、詩人でドイツ思想の研究者として大阪府立大学で教鞭をとっている方です。岡山にも縁のある細見さん、福間監督とは詩人・大学教師・岡山という共通項があります。そして、福間監督の長篇第1作『急にたどりついてしまう』からすべての映画作品を見てくださっています。

今日は、トークというよりも、福間さんにお話を聞くというかたちで、ぼくが質問をしながら進めていきたいと思います、と細見さんがまず挨拶されてから始まりました。

詩から映画までを生きる

(細見)福間さんが最初に詩を書くようになったきっかけは?
(福間)僕の青春時代は1960年代終わりごろからで、そのころはいろんな文化があって、何でもやれるみたいな空気があったんだけど、ぼくはまず高校生のときに映画をやりたいというのがあって、大学でたまたま小説コンクールで賞金をもらってそれで映画を撮ったんだけど。小説も同人誌などに書くと、そこで詩を書いている人がたくさんいる。ぼくだって書けると思って書きはじめたら、そっちの方にどんどん行ったという感じで、気がついたら詩が中心になってた。
(細見)福間さんは詩集もたくさん出してるけど、詩を書く量が半端じゃないんですよね。すごく分厚い詩集が2冊もあるし……。
(福間)映画への思いももちろんまだあって、大学生のころは、午後から3本立ての映画を見てそのあと金もないのにお酒飲んで一日が終わるか、ずっと朝まで詩を書いているかという過ごし方をしてましたね。
(細見)ぼくは今50歳になったんですけど、ぼくらの時代にはそういう過ごし方というのはもうなかったですね。詩を書くという行為はとても孤独で、どこか自分ひとりに閉じていく印象ですが、映画は複数の人間が関わることで開かれるという感じがしますね。
(福間)映画っていうのは、ゴダールがどうだとかではないところで、たとえば普通のおばさんやおじさんが興味をもったり見たりすることがありますよね。だから人と出会えるのが映画だとも言えるんじゃないかな。

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映画をつくる身になって

(細見)福間さんは『急にたどりついてしまう』で、本格的に映画をやるっていうか、決意があるわけですよね。つくる側の身になって、どうですか?
(福間)ぼくは高校教師を2年やってたんですけど、その間も映画の世界とは縁が切れずにいて、脚本を書く仕事がたまたまあったけど、それがうまくいかなくて、もう映画界からは見放されたみたいな気分のときに、岡山大学で採用の話があって、そのころはあまり詩もやる気もなくて、研究者にでもなるかなあという気持ちで岡山に行った。そこで映画を見まくって、ピンク映画も見ていると、それがすごく面白い。その監督やスタッフたちは、ぼくと同世代でかつてすれ違っていたような人たちだったりする。そこで、自分も見る側ではなくつくる側もあるんだという気持ちが、また沸き起こってきて、東京に戻って、若いピンク映画の監督たちと出会って、ぼくもつくりたいという気持ちを話すと、全面的に協力すると言ってくれて、『急にたどりついてしまう』が実現した。18年前、45歳でした。1995年は、神戸の震災が起こってオウムのサリン事件が起きてという年だったんだけど、そのことも含めて時代が大きく変わっていく感じがあって、それに対してこの作品をどのように突きつけたらいいのかがわからなくて、編集にとても苦労した。そのあとすぐにでも次の作品を撮りたかったんだけど、なかなか撮れなかった。

2008年『岡山の娘』

(福間)ぼくが岡山にいた5年間は、いわば青春のやり直しのような時間を過ごして、自分の30歳から35歳までの時間と岡山という土地に愛着があったんで、いつか岡山で映画を撮りたいと思っていた。それが岡山映画祭の人たちの協力で実現できた。でも、この映画はほんとうに大変だった。これをなんとかやれれば、次もつくれると思って、必死だった。
(細見)ぼくも福間さんに初めて会ったのは岡山でだったし、岡山の景色がなつかしい。

 ・「父と娘が初めて会った」シーンを見てもらう
(福間)主役が降板して、そこまで撮ったところを使えなくなって、でもその人が出ていないところは最大限に使うということで、辻褄があわないことや本当はおかしいところがたくさんあるんだけど、映画というものはひとつの頂点まで持っていけばなんとかなる、お父さんと娘が会って「すべてがわたしには関係ないとは言えないだろう」と言わせるところまで持っていく、これが大きなヤマだったですね。
(細見)この映画もそうですけど、『わたしたちの夏』も『あるいは佐々木ユキ』も、父親が影薄くて、女の人ががんばってるっていうか……。うろうろしてるとか、お酒飲んでるとか、あまり実社会とは関係ないんですよね、男が。父親像っていうのはどうなんですか?
(福間)世の中のりっぱなお父さん、というのがどこか苦手なんですよね。ダメなお父さんの方が自分に近い存在として意識できるというかね。

2011年『わたしたちの夏』

 ・「死の世界=森で、千景がサキの母と出会う」シーンを見てもらう
(福間)死の世界はあの世を想像して人が作るわけだけど、近くの公園をきちんと撮ればその中に死の世界もあるんだというようにしたかった。千景さんが見ている森が死の世界になるというように。
(細見)あれは、近くの武蔵野の森なんですよね。あんな深い森があるなんて、びっくりしました。
(福間)あのときたまたま彼岸花が咲いてたんですよ。それを縦構図で撮ろうとしたら、鈴木一博カメラマンが、そうすると日本的になっちゃうよと言ったんです。確かにそうなんですよね。これはどっちかっていうと西洋的な死の世界なんでね。映画というのは、遠くのものを撮りに行くのではなく、近くの現実にあるものの中に現実を越えたものを見つけていく、ということじゃないかと思うんです。
(細見)ここは彼岸とかあの世とかいうよりも、神話の世界、ミュトスの世界という感じですよね。それが自宅のすぐ近くで撮られてるということが、とても面白いことですよね。
(福間)だいたいぼくがふだん歩いてる近所で撮ってるんですけど、撮影のときはぼくと鈴木カメラマンは自転車で移動したんです。そうすると、車で移動するほかのスタッフよりも先に現場に着く。自転車で動くことによって、ものの見え方が違ってくるんですよね。
(細見)『あるいは佐々木ユキ』の最後のクレジットで撮影日が出ていて、5日間ぐらいで撮影してるんですよね。他の映画もそうなんですか?
(福間)『急にたどりついてしまう』は10日と追撮1日で、『岡山の娘』はいろいろあったんで3週間ぐらい。時間がかかると製作費が増えていくので、できるだけ日数を短くするわけです。
(細見)『岡山の娘』はいくらかかったんですか?
(福間)250から300万ぐらいかな。そのあとは50万ずつぐらい減ってきてるんですけど。『あるいは佐々木ユキ』は5日半で撮ったんだけど、これが10日間になったら、おいしい弁当にならないとか、打ち上げもみんなでおいしいもの食べられないとか…(場内笑)。でも、普通の日当とか払えないですよね……。
(細見)天気も影響するでしょうから、きびしいですよね。『あるいは佐々木ユキ』のモノレールからの空のシーン、ああいうのは撮れるか撮れないか勝負ですよね。

2013年『あるいは佐々木ユキ』

 ・「ユキが自分の部屋に戻り、もう一度ドアを開けてまわりを見る。夕暮れの空〜未来の風景」シーンを見てもらう
(福間)ユキはフランスに行っていたという設定ですが、ユキ役の小原早織さんはこの撮影のあと実際にフランスに留学したんです。むこうで自分が写っているような写真を撮ってきてくれるよう頼んでいたんですが、自分の写真はほとんどなくて……。で、この場面で未来の風景を入れるのに、変わらないもの、つまり空と海みたいなものを考えていたんですが、これを東京で撮りに行くのはお金もかかる。そこに小原さんからこの写真が届いた。これだ!というわけで、ここは静止画なんです。この未来の風景は、彼女が撮ってくれたボルドーの砂丘なんです。砂丘に映っている影は、小原早織さん自身なんですよ。
(細見)あー、そうなんですか! うーん! 小原早織さんは『わたしたちの夏』からかなり中心に置いてるけども、『夏』では伏し目がちだったのが『ユキ』では視線が上がっているというか。『ユキ』で小原さんに込められたものは何かありますか?
(福間)『夏』を撮ってこれを仕上げないうちに『ユキ』を撮って、それから『夏』を編集して『ユキ』を編集したという過程のなかで、小原早織が見えてきたということがありますね。『夏』では千景さんに対してキッと見つめる目を要求したらそれをうまく出してくれたんですけど、カットがかかった瞬間にニコッと笑う、それがよくて『ユキ』は微笑みの映画にしようと、最初『スマイル』というタイトルも考えたんだけど、簡単には微笑みの映画にはならないなあと。でも、微笑みに向かっていってるという感じかな……。
(細見)このへんで皆さんから質問を出してもらいましょうか。

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出演者について

(中年の女性)小原早織さん、とてもかわいい方ですけど、福間さんはどういうところで女優さんというか役者の方を探してこられるんですか?
(福間)小原さんはぼくの教え子なんです。『ユキ』は首都大学東京の学生がたくさん出てるんです。ユキaもユキbも学生です。小原さんは、中学生のころから役者をめざしていてテレビドラマにも出たりしたことはあったんですが、その世界に対して不信を抱いてやめたんですね。どこかに怒りのようなものを持っている、でも普通の女の子なんですが、それがうまく出せたというか……。ユキbの川野真樹子さんは、お父さんがドキュメンタリーの映画作家で早くに亡くなったんですが、映画というものに対して、お父さんのやってた仕事ということで思い入れがあるんですね。お母さんと二人で生きてきて、そういう意味ではほんとにユキbなんですよ。でもすごく真面目な人なんですよ。
(細見)文月悠光さんが最初に出てきますが、彼女は中学生のときから詩の世界では有名で、ぼくはその詩を読んで中学生だと知ってびっくりし、そのあと少し詩が変わったかなと思ったらまだ高校生で、もうほんとにえーっ!ですよ。彼女は冒頭に出てきますが、このときは大学1年生ですよね。
(福間)初めて会ったときに、なんか撮りたいなあと……。彼女はある意味天才少女で、自分の表現も持っている。でも同時にふたつの面があると思うんです。ひとつは、彼女は中学・高校のときに演劇部だったので、芝居的なことができる、そのことの新鮮さがある。演劇部の優等生的なものがあるとして、詩の天才でもある。でも普通の女の子でもある。つまりひとりの人間のなかにいろんな要素があるというのが出てくれて、彼女もユキ……。
(細見)ユキcみたいな。
(福間)そう、ユキcみたいな感じになるのかなあと。
(細見)彼女が朗読する詩「横断歩道」は、青とか黄とか色に関係なくみんな渡っちゃえ、どんどんひかれちゃえ、でも保険おりるな、言葉よおりてこいって言ってるけど、これはこの映画のメッセージにもなってますよね。
(福間)朗読はいろんな人がやってるけど、誰を撮っても面白いわけじゃなくて、彼女の朗読をあの場所で撮ることに、ぼくには面白さが重なっていて。うしろに子どもの絵があって、文月さんがいて、それをロングショットで撮る。この文月さんに鈴木カメラマンがノッたんですよね。きちっと撮ったということですよね。『わたしたちの夏』と『ユキ』はちがう撮り方をしてるんです。『ユキ』はすべて三脚使って撮ってるんだけど、いろんな角度から撮るんではなくて、人が見るというのは、一点で見ているわけだから、一点でつかまえるということをやってるんですね。ただフィックスだからいいということとは違っていて、朗読もユキの踊りも一点でつかまえてるんですね。もうひとつ、カメラは、いま誰でも買えるEOSというデジタル一眼レフの動画機能で撮ってるんですけど、これがほんとによく写るんでびっくりする。でも、小さくて軽いカメラなんで、それを重く感じさせるように撮っている。鈴木カメラマンは、三脚をきちっと立てて、堂々と撮る。モノレールのなかで、乗客がたくさんいるなかでもたった20分でそれをやる。それができるのは、鈴木カメラマンもぼくも、ピンク映画出身ということもありますね。
(細見)ほかに質問とかないですか。

カルタのシーンとダンスのシーン

(若い男性1)カルタのシーンがすごくよかったんですが、あれは演出されているんですか?
(福間)まず、二人カルタってどうやってやるんだろうっていうのがありますよね。で、二人に始めてもらったら、これは何度もやれない、一回だけだと思ったので、そのままいくぞって。何が一番やりたかったかというと、映画で撮るものとして芝居をする、セリフを言うがあるわけだけど、普通の人間が作業する、それを撮ろうとしたんです。ワンビンが人間のする作業を延々と撮っているように。これ撮ってるときに本番だと意識してたのは監督だけだったかも(場内笑)。編集では頭のところを少しだけ切ってますが、最後の一枚に持ってくるのに、途中を抜けなかった。演出的にはいちおうユキbが勝つことを考えていたんだけど、このなかから二人の個性がみえてくればいいとしたんです。ぼくはこの映画ではカルタシーンが一番好きなので、そう言ってもらえてうれしいです。

(若い男性2)このあとのダンスシーンで、小原さんがユキbのダンスを真似しようとしてできないのは、ヒップホップはできるけどクラシックはできない、という小原さん自身でもあるところをやらせようとしたんですか?
(福間)ユキbの川野真樹子さんは子どものときにバレエを習っていたし、ユキaの小原さんはストリートダンス的なもののサークルに入っている。その事実を使ったわけですが、小原さんが、真似できない、わざとはずしてズッコけるのが意外にむずかしくて、ここは何度も撮りましたね。彼女はだいたい一発OKの人なんですけど。

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福間健二主義

(細見)ぼくも仕事がら、学生、20歳ぐらいの人たちをよく見てるわけですが、やはり女性の方が生きてる姿や表情がつよい印象がある。この映画もそうだと思うんですが、それを撮ってる福間さんは、上の世代としてではなく、ほとんど同世代的に共感してる、後押ししてるというように見えるんですよね。
(福間)ぼくの映画のつくり方は、みんなと一緒につくっていくんですね。ユキなら小原早織という人間が60〜70%出ているというようにしないと、それぞれの役者と一緒にやってる意味がないと思う。それはどんどん動いていくし変わっていく。結果に向かってはめていく、という映画のつくり方があるけど、ぼくにはこれはない。どうなるかわからないものに向かっていく。若い世代が、自分としてちゃんとやってくれれば、それでいい。
ある意味で、こちらは表現というものに行き詰まっている。けれども、ヒューマニズムとか社会性をテーマにするのではなく、普通に生きている体験に色をつける、これが表現だと思う。何でもないことに、楽しさや生きる意味がある。
(細見)事件とかを描くのが社会性ではなく、生きている姿や揺らぎみたいなものをとらえるのが、一種の社会性になるみたいなことかなあと思いますね。
(福間)面白い原作とか有名な俳優が出るとかいうもののなかには、じつは映画はあまりなくて、なんでもない普通に生きてる人をじっと見つめているだけで見えてくる、それが映画だと思うんですよね。そのときにはもう、ドキュメンタリーもフィクションもあまり意味をなさない。
(細見)さて、もう時間もないので、3月に定年退職して、その後の、これからの福間さんはどういうことをしていくのかを、簡単に。
(福間)大学教師で生活を支えてきて、映画をつくったり詩を書いたりしてたことが、どこかで趣味だとか好きなことだとかはもう言えなくて、これからが真剣勝負だみたいなところはありますね。
(細見)60代で映画を10本撮るというのは、ほんとですか?
(福間)表現は誰かに頼まれてやるものではなくて、自分で自分をプロデュースするしかないんですよね。自分で決めてやるしかない。だから60代で10本撮ると決めた。でも、それ言ったの、飲んでるときかもしれなくて(場内笑)。そのときそばにいた鈴木カメラマンがそのうち7本は俺がやるって言ってくれたんでね。小原早織さんは、わたしが30歳になるところを撮ってほしいと言ってくれたし。60代のうちにあと8本撮るのは、とても難しいかもしれないけど……。というわけで、映画は60代であと8本撮ります!
(細見)これ、福間健二主義やね!

1時間半におよぶトークは幕を閉じました。細見さんのおかげで、これまで聞けなかった福間健二の物語がまたひとつ増えたような気がします。観客の皆さんも熱心に聞いてくださいました。細見さん、ありがとうございました!
この余韻を残したまま次の回の『急にたどりついてしまう』を8年ぶりぐらいに観た福間監督。かなり照れくさかったようです……。
そしてそのあとは、もちろん打ち上げです! 参加率70%!
長田の夜は、にぎやかに愉しくいつまでもつづきました。

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今回の上映を実現してくださった神戸映画資料館の田中さん、館長の安井さん、tough mama神戸支部長の髙澤くん、そして、いらしてくださったすべての皆さん、ほんとうにありがとうございました!
『あるいは佐々木ユキ』をこれからもどうぞ応援してください。

宣伝スタッフ 鉄人26号
写真撮影 小山伸二




福間監督の前作『わたしたちの夏』で好評だったポエトリー割引が、『あるいは佐々木ユキ』ではさらに人気です。皆さんがどんな詩集を持参されるのか、監督もスタッフも興味津々。そこで、ポレポレ東中野さんが、詩集を提示下さった方に許可をいただいた上で、作者とタイトルを記録してくれました。

なんと、のべ冊数123にもおよびました!
古いものから新しいものまで、こんなに詩集って出されているんだと驚いてしまうほど、多岐にわたっています。そして、多くの人がいつの時期にか詩集を買い求めているのだなあと思わされます。詩はこのごろ特に読まれない、と言われますが、案外そうではないのかもしれませんね。

提示してくださった詩集すべてをここに掲載します。
福間健二の詩集が多いのは、まあご祝儀のようにありがたく受けとめるとして、やはり谷川俊太郎さんが多いですね。それもたくさん詩集を出しておられるので、複数のものは一冊だけです。
この集計作業は楽しかった! タイトルを読んでいるだけで空想がひろがって、読んでみたくなりました。


★    同じ詩人のもの、複数のものをまず。
ボードレールとランボー、今もなお強いんですね!

福間健二     福間健二詩集 7人
         最後の授業/カントリー・ライフ
         結婚入門
         きみたちは美人だ
         秋の理由
         侵入し、通過してゆく

谷川俊太郎    二十億光年の孤独 2人
         谷川俊太郎詩集
         私
         詩選集1
         はだか

ボードレール   ボードレール詩集 2人
         悪の華
         巴里の憂鬱
         
ランボー     ランボー詩集 3人
         地獄の季節
中原中也     中原中也詩集 4人
文月悠光     適切な世界の適切ならざる私 3人
吉増剛造     吉増剛造詩集 3人
島崎藤村     藤村詩集 2人
寺山修司     寺山修司詩集 2人
萩原朔太郎    萩原朔太郎詩集 2人
ヘルマン・ヘッセ ヘッセ詩集 2人
穂村弘      求愛瞳孔反射 2人
ワーズワース   ワーズワース詩集 2人
イギリス名詩選       2人
Poetic Wonder 30      2人


★ 一冊のものは五十音順で。
朝吹亮二       朝吹亮二詩集
天沢退二郎      天沢退二郎詩集
アメリカ子ども詩集  ガラガラヘビの味
鮎川信夫       鮎川信夫詩集
新井悠ノ介      WONDERFUL
荒川洋治       荒川洋治詩集
アンリ・ミショー詩集 小海永二訳
井川博年       井川博年詩集
五十嵐倫子      色トリドリの夜
石原吉郎       石原吉郎詩集
茨木のり子      茨木のり子詩集
井伏鱒二       厄除け詩集
入沢康夫       入沢康夫詩集
ウィリアムズ詩集   原研吉訳編
岡田隆彦       岡田隆彦詩集
尾形亀之助      尾形亀之助詩集
尾川義雄       影泥棒
長田弘        深呼吸の必要
尾崎航太       境界線
尾崎豊        白紙の散乱
オノ・ヨーコ     グレープフルーツジュース

加藤思何理      孵化せよ、光
金子みすゞ      金子みすゞ詩集
北園克衛       北園克衛詩集
季村敏夫       ノミトビヒヨシマルの独言
木村ユウ       クールズ(足)
銀色夏生       ロマンス
工藤直子       なんとなく、青空
ゲーテ        ゲーテ詩集
小峰慎也       参考になる

笹井宏之       てんとろり
シェイクスピア    ソネット集
シェリー詩集     イギリス詩人選
正津勉×谷川俊太郎  対詩
SIXTEEN MODERN AMERICAN POETS
菅原畝        裸でベランダ/ウサギと女たち
杉本真維子      袖口の動物
杉山平一       杉山平一詩集
鈴木志郎康      鈴木志郎康詩集

髙塚謙太郎      カメリアジャポニカ
高村光太郎      高村光太郎詩集
タゴール       タゴール詩集
立原道造       立原道造詩集
立原道造       優しき歌
タルコフスキー    雪が降る前に
ディキンソン     ディキンソン詩集     
テッド・ヒューズ   誕生日の手紙
寺山修司       少女詩集
鳥居万由実      遠さについて
T.S.エリオット     荒地

中江俊夫       中江俊夫詩集
二坂英之       クレヨン蒸着体

パウル・ツェラン   闇から闇へ
原マスミ       トロイの月
平出隆        胡桃の戦意のために
ヘシオドス      神統記
ポー詩集       加島祥造訳
ポール・エリュアール エリュアール詩集
ポール・オースター  消失
堀口大学       堀口大学詩集

松尾芭蕉       奥の細道
松本圭二       アストロノート
まどみちお      いわずにおれない
三角みづ紀      カナシヤル
宮沢賢治       新編宮沢賢治詩集
目黒雅也       むしうた

八木重吉       八木重吉詩集
山尾三省       水が流れている
山之口貘       桃の花が咲いていた
吉岡実        うまやはし日記

渡辺信二       日本の論理 ジャパンの叙情            





1月29日火曜日。今夜は、ついに主演の小原早織さん登場です!
小原さんは「コハラ」さんと読みます。「小原」さんの名字は読み方が何通りかあって、よく混同されるけど、コハラ・サオリですので、あらためてよろしくお願いします。

小原早織さんの人気は、福間監督の前作『わたしたちの夏』のサキちゃんでくすぶっていたものが、『あるいは佐々木ユキ』で勢いを増して開花している様相です。ツイートに投稿された感想で、「超絶かわいい」や「その目にクギづけ」「とにかく小原早織」などなどなど、もう止まない早織ちゃん熱が広がっています! というわけで、盛況な今夜は男性のお客様が多いですねえ。

壇上にあがった小原さんと福間監督。
あれ、その間のテーブルには、なんとブタくんたち! ユキが「子どものころから一緒だったんだ」と言うブタくん3匹です。ちなみに、あの喋るぶー太は小原さんのもので、あとの2匹のぶー子とぶうやんは福間監督のものです。福間監督は、モノも景色も身近にあるものを使うと言います。小原早織さんも、じつは大学で福間先生の教え子。これ、身近って言うんですか?

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「『あるいは佐々木ユキ』の編集に入る前に、ポルトガルを旅行したんだけど、ある村で出会ったジプシーの少年、彼の目に惹きつけられた。その目はチャーミングだけど、ぎりぎりのところで生きている。この目は小原早織の目だ!」。
福間監督は、そこから『あるいは佐々木ユキ』の編集のポイントが見えてきたと言います。
そして『あるいは佐々木ユキ』をみて、どうだった? と小原さんに尋ねます。
「撮ってるときは、まったくどうなるかわからなかった。出来上がって驚きがまずあって、自分が客観的に見えなかったですね。詩や音楽を浴びる感じでした。好きなシーンはまず、監督の詩の朗読が入って音楽があって、砂丘のところ、『わたしは時をかける少女だ』というところです」。
福間監督「あそこは唯一写真を使ってるんだけど、あれは小原さんがフランス留学中に撮った写真を使ったんだよね。貢献してもらってるんです」。
「ボルドーの有名な観光地の砂丘なんですけど、あの影はわたしなんです」と小原さん。

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さらに好きなシーンについて「ごはんと明太子を食べるところ。あれ、お箸が落ちたのでどうしようかと思ったんですけど、まあそれに付いてる米粒食べちゃいましたね」と小原さんは言います。
「だから1回しか撮れなかった。自然に出てきたものだからそれを使おうと」と福間監督。
「あと、千春さん登場のシーンも好きですね」。
「あれは、立川でパリに見えるかもしれない場所、を探したんだよね」と福間監督。
「もうちょっと引きで撮ると、もろ立川ですよね」の小原さんのコメントに、場内には笑いが!

小原さんは監督に尋ねます。
「ホンを読んでもよくわからないし、撮影のときもどういう話になるのかぜんぜんわからなかった。構成や組み合わせは、どの段階でどんなふうに作っているんですか?」
「どんなふうにもできるように、映画自体を何通りにでもなるように、撮ってるんだよね。人間はどこかで、おとぎ話か物語の主人公なんだと思う。だから、いろんな可能性をもたせて撮るということかな」と福間監督。
それに間髪入れずに小原さんは鋭く質問。
「じゃあ、台本しっかり書いてといわれたらどうするんですか?」
「きちっとした台本書くと、お金がかかりそうだしね」
これには場内爆笑です。

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「観た人は気づかないかもしれないけど、アトリエの前の亮平さんと二人のシーンで、影がどんどん寄ってきてるの、わたし好きなんです」と小原さん。
「あれは影を撮ったんだよ」
「えっ、ほんとですか?!」
「カメラの一博さんが、あの構図をつかまえてくれたところで、気づいたんだけどね」と福間監督。
こういう裏話は、主演女優と監督からしか聞けないことですよね!

そんな二人の話は尽きませんが、そろそろ時間です。
福間監督は言います。
「小原早織は、ほんとうに力のある人で、『ユキ』は彼女の60%、でもそれでOK。100%やりましたのしんどさは、ちょっとね」
「でも、60%のわたしの感じを使える映画は、なかなかないのではないかなあ……。映画ひとすじでやっていける人いるけど、わたしにはできないかなあと」と小原さん。
小原さんはつい先日、新文芸坐の特集で、若尾文子さんのトークを見たとのこと。
「小さくて細くて、の80歳の若尾文子さんだけど、シャキッとしてるんですよね。自分の作品はあまり見てなくて、細かいシーンについて言われてもほとんどおぼえてない。自分の作品は見たくないみたいな……。若尾さんもああ言ってるんだから、わたしも見たくなくてもいいかな……」と場内を笑わせました。

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「あと3日で上映は終わります。冬の映画は寒さとの闘いでもあって、なかなかきびしかったけど、皆さん、今日はほんとうによく来てくださいました!」と福間監督は客席にお礼を言いました。
小原さん「わたし、ラムネ菓子を明日から配りましょうか」。
「あれ! 言ってなかったっけ。きのうから皆さんに渡してるんだよ」と福間監督。
「あれーー、知らなかった!」
小原さんの天然の笑顔は、ちょっと最近では得がたい「天使」のそれだと、つくづく思いますね。この人のこれからの人生、見つめていきたいです。

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というわけで、「ユキ」ちゃんから直接ではありませんが、ユキちゃんシンボルのラムネ菓子、受付で皆さんにお渡ししてます!

ポレポレ東中野での『あるいは佐々木ユキ』は2月1日金曜日までです。
31日木曜日の21時の回は、先日の大好評を受けて、〈福間健二の詩朗読にみちびかれて『あるいは佐々木ユキ』を体験する〉をふたたび行ないます。この稀有な体験をどうぞ味わってください。
星のまたたく冬の夜、妖精たちが東中野で待っています。


宣伝スタッフ:ぶー子
写真撮影:加瀬修一




1月27日。ポレポレ東中野での『あるいは佐々木ユキ』上映は、最後の日曜日を迎えました。今夜のイベントは、上映の前に福間健二監督の詩朗読をしてからその余韻のままに上映に入るという初めての試みです。
日曜日で、おまけに夜半から雪になるという予報にもかかわらず、たくさんの方がいらしてくださいました。

21時ちょうど、福間監督はかなり緊張気味に、ほの暗い壇上に立ちました。
場内の耳は、いまにも発せられそうな声に集中しています。

  今日も、川べりで/ささやく声をきいた
  「きみはまちがっている」

福間健二が、これまでに何度も朗読してきた「むこうみず」です。
この詩の最後のフレーズ(あちこちで引用されている名句?)、

  まちがっている
  でも、ものすごくまちがっているわけじゃないだろう

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ここまで読み終えてから、ひとこと挨拶があり、つづけて5篇の詩を読みました。
「トラブル」「青い家」「いま」「みずうみ」「光る斧」。

言葉は音となり、浮遊しながら、場内のすみずみに、わたしたちの身体に、じんわりと浸透していきます。耳がとぎすまされ、音としての言葉が、からっぽになった心にうっすらと積もっていきます。まるで夢をみているような心地よさがやってきます。

そして最後に「もうすこし」が読まれました。
『あるいは佐々木ユキ』のメインコピーのフレーズ
  
  もうすこし歩いて/もうすこしへんになってみる

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拍手もそこそこに、福間監督がするりと舞台をおりて、余韻のただよう暗い場内の席に着くやいなや、上映が始まりました。
冒頭の文月悠光さんのシーンから、色も音も匂いも空気もちがって感じられたのは、わたしだけではなかったでしょう。
いやー、なんともいえない心地よさです。
『あるいは佐々木ユキ』が「感じる映画」であることを、より鮮明に確認できる上映だったと思います。

声から映像へ。耳から目へ。
言葉=音がみちびく『あるいは佐々木ユキ』。
言葉は観念を離れ、音楽のようにこの映画を包み込む。
これはあたらしい映画の体験です。

ロビーに出てこられたお客様の顔には、満ちたりた笑みが見え隠れして、監督に「すばらしかった!」の声が寄せられました。

さて、もっと多くの人にこの体験をしてもらいたいと、スタッフ全員と監督の気持ちがすぐさま一致して、もう一度行なうことを決めました。

1月31日木曜日、上映最終日前日、21時の回です。
21時から15分間の朗読につづいて、上映を行ないます。
みなさん、どうぞこの稀有な映画体験を!
お待ちしています!

宣伝スタッフ ぶー子
写真撮影:松島史秋




——批判/応答、そして対話

今夜のゲストは、映画監督の山戸結希さん。山戸監督は現在、上智大学の4年生で、昨年発表された『あの娘が海辺で踊ってる』が高い評価を受けています。
福間監督は、「キネマ旬報」に山戸さんが寄稿した『あるいは佐々木ユキ』の批評に感銘し、また山戸監督の作品からも強くインスパイアされていたところ、ついに今夜二人の対談が実現しました。福間監督が、山戸監督の批評に惹かれたのは、それが単なる賛辞や非難としてではなく、率直にして聡明な直観につらぬかれた確かな批判として書かれていたからです。福間監督は「こういう批評に出会うために今まで映画を撮ってきたんです」と言い切ります。すると山戸監督は監督と映画を見終わったばかりの観客の目の前で、物柔らかな口ぶりながらきっぱりと、『あるいは佐々木ユキ』を改めて批評しました。
 
「わたしはこの映画に違和感を感じたんです。これは映画ではなく詩だなと。それは詩が出てくる映画という意味ではないです。ここでは言葉の永遠性に、現実の時間や演じている人々の実際が飲み込まれてしまっている。スクリーンから奥は断絶されていて、これから10年経ったとしても、そこは無時間の世界なんじゃないかと思うんです。つまり、それがわたしにとっては『詩』だということなんです。永遠性を孕んで留めておくもの、それって言葉だな、と。だからわたしは『あるいは佐々木ユキ』にそれほどの炸裂をみませんでした」。

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福間監督は、「僕は映画を撮るように詩を書いてきて、詩を書くように映画を撮っているつもりだけど、詩のような映画を撮ろうとか、そういう難しいことは実はあんまり考えていない。ただ、前の2作がメロドラマ的な物語をいかに非メロドラマ的に描くかということに挑戦していたのに対して、今回の作品にはメロドラマ的な要素というものがないんです。ユキにはとりたてて困ったことなんかない。それでも一本の映画になるということなんだよね」と答えます。
これに対して山戸監督はさらに「わたしにとっては、メロドラマというのは地獄の話のことなんです。つまり個人の中にある地獄をどう描くかということですね。『わたしたちの夏』はそうなんですけど、『あるいは佐々木ユキ』というのは天国の映画なんです。ある永遠性をもっている。それが言葉の世界だという気がするんです」。
福間監督は、「うーん」と少し考え込んでしまいました。

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その後も山戸監督は鋭い質問を繰り返しますが、福間監督を最も戸惑わせたのは、「これまで詩作をされてきて言葉の世界にいらしたのに、なぜ映画を撮っているのですか」という質問でした。
「山戸監督にだけはそういうことは言われないと思ってたのに……」と少しショック気味の福間監督は、「僕は詩のような小説があったり、詩のような演劇があったり、詩のような映画があっていいと思うんです。もっと多様でいいって考えです。僕にとっては、カメラがありさえすれば、そこに映されたものはすべて映画なんです。だって本当はそれだけの意味なんですよ、”Moving Picture”っていうのは」と答えます。
山戸監督は、若者の特権ともいうべき純粋さとかたくなさで「でも『映画とは何か』ということを考えませんか?」と福間監督にせまります。福間監督は、「それはもちろん考えずにはいられないんだけど……」。

こうして今夜のトークショーはさながら、「永遠の映画小僧」と「恐るべきこども」の対決の様相を呈していきました。しかし、会場の観客のみなさんはこの白熱する議論をあたたかく最後までみまもって下さいました。

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山戸結希監督――若年にしてこの炯眼は、頼もしいというべきか、末恐ろしいというべきか。いずれにしても映画の作り手としてだけでなく、良き批判者としても今後のさらなる飛躍を切に願います。

山戸監督の話題作『あの娘が海辺で踊ってる』は、2月16日(土)から21日(木)まで、他2作(『Her Res〜出会いをめぐる三分の試問3本立て』と『映画バンもん!〜あなたの瞬きはパヒパヒの彼方へ〜』)と併せて、オーディトリウム渋谷で連日21:10からレイトショー公開されます。詳しくは、劇場HP(http://a-shibuya.jp/archives/4822)まで。この機会に是非、足をお運びください。

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レポート:河野まりえ
撮影:加瀬修一


『あるいは佐々木ユキ』の上映は2月1日(金)までです。
追加のイベントも2回あります。

1月27日(日)21時の回は、福間監督の朗読が映画へと誘います。1回限りのスペシャルイベント。監督自身の声と言葉から入っていく『あるいは佐々木ユキ』。またちがう表情がきっと見えてくるはず。ぜひとも立ち会ってください!
そして1月29日(火)21時の回上映後は、主演の小原早織さんと福間監督のトークです。とんでもない撮影エピソードが出てくること必至。のがせませんね!
みなさん、どうぞポレポレ東中野にいらしてください。




1月24日木曜日。ようやく雪がとけてきましたね。
今夜のトークゲストは、いま、文筆に女優にイベントに大活躍の森下くるみさんです。
福間監督の前作『わたしたちの夏』のアップリンクでの再映のときに、念願のゲストとして初めて登場していただいて以来の再会です。今日も着物姿のくるみさん。淡い朱色がとても似合っていて、まぶしいほどにうつくしいです!
上映後、福間監督とくるみさんが登壇。監督は「ぼくが一番会いたかった人」とくるみさんを紹介して、二人のトークは始まりました。

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福間監督が「スクリーンで観てもらうのは初めてだと思うけど、どうでしたか」と、くるみさんに感想を求めます。
「『わたしたちの夏』とは毛色がちがいますね。『あるいは佐々木ユキ』はかわいい映画というか、画面のいろんなものに目がいくんですよね」。
福間監督「冬の光の中の、冬の妖精たちを撮ったということになるかな」。
くるみさん「A Fairy Taleですよね。妖精はティンカーベルのように羽のはえた姿しか空想してなかったけど……。童話やファンタジーというようにカテゴライズしたくないですが、人間として異次元の人が映っているようなところ、たとえば気功の人とユキのやりとりとか、よかったですね」。
福間監督は、『あるいは佐々木ユキ』の大まかな筋立ては、キャスト・スタッフの学生たちといろんな意見を交わしながら出来上がっていったことを説明しました。
するとくるみさんは「ディスカッションのなかでストーリーが決まっていって、それが演出で変わってくるんですか?」と質問。
福間監督「ゴールは見えてなくて、たとえばユキが明太子を食べるところなどは、小原早織さんの食べ方そのものが出てるわけだけど、それを直したりはしないわけです」
くるみさん「そうですよね。決められたことをやるだけだと、印象が薄いですね」。

このあたりから、映画の細部へのくるみさんの洞察が興味深く展開されていきます。
「二人のカルタのシーンは、カルタの素朴な言葉を聞く感じになって、あらためてカルタってかわいい遊びなんだなと思った。あのワンカットは、ユキふたりの戸惑いが見えてきて、すごく楽しかった。モノレールのシーンも印象的ですが、移動するものに意味があるのですか?」と質問。
「モノレールの動きは、直線ではなく蛇行するのが面白い。それと高い位置にあるから景色がちがう。すると時空を超える感じが出てきて、千石先生の回想のところや最後の景色なんか、過去や未来を感じさせてしまうような……。編集で画をずっと見てると、そうなってきて、それが観る人にも伝わるのではないかと」と福間監督。
「高い位置から見ると、ふだんは感じてないけど、空の光が神々しいですね」とくるみさん。

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さらに、くるみさん。
「赤い部屋の中の壁にレコードジャケットが貼られているなかに、キリング・ジョークのジャケットがあって! わたし大好きなんです!」。
「あれはぼくの好きなLPのジャケットを持ってきて貼ったんだけど、えー!!くるみさんも好きなんだ!」と福間監督大喜び。
もっと、くるみさんです!
「ユキが寝間着にしているTシャツの柄、子どもが銃をかまえてるんだけど、これは反抗精神?」
エッ、こんなこと訊かれたことない! という顔の福間監督、客席にいるユキ役の小原早織さんに尋ねました。
「ただのTシャツでーす」の小原さんの返事には客席から笑いが出ました。

そうなんですねえ。衣裳も美術もいないような福間映画の小道具や空間は、なにか意味があるように見えても、じつは監督が計算してのことではなかったりする。スタッフやキャストが無意識のうちに選んだものが、ちゃんと映画のなかの役割を果たしてくれている。すこし飛躍があるかもしれないけれど、そんなふうにも思えてきます。
「空間の使い方は映画をつくる醍醐味ですよね」とくるみさんが言うと、「ほんとうにスタッフ・キャストに助けられてるんですよね」と福間監督は感慨深そうに言いました。

そこですかさず福間監督、爆弾発言です。
「森下さんに僕の映画に出てもらいたいけど、どうですか?」
「躊躇なく、やりたいとお返事します。でも……福間さんの映画の女性は、自分のあり方が、しゃべり方、立ち姿が出てしまうコワさがあるから……」
ここぞとばかりに福間監督は押します。 
「森下さんが入ってくれれば、それで変わる! 監督の世界が変わってくる! 自主映画を突き破る何かが生まれてくる! さっきの言葉、うれしくて……」。
監督、くるみさんの後半の戸惑いを聞いてませんね!
「うれしくて眠れないかも」とほとんどうれし泣きの様相です。

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「ところで、くるみさんの楽しい一日の過ごし方は?」と福間監督はニコニコ顔でたずねました。
「映画を観て、すごくよかったり、驚いたりすると、いい一日だったなあって思いますね。ほかには、ごはん作ることかな。人と会ってお酒飲めたらさらにいい」。
「映画が好きなんだなあ。僕は映画が好きな人とやっていきたいんだよねえ」とまだつづく(?)福間監督のくるみさんへのオファーです。
どうやらそれは、お酒の席に移ってからもつづいた? きっとそうですよね。
福間監督作品のなかのくるみさん。もうドキドキしますね。早く見せてください!

トークの終わりに福間監督は「まだまだ寒い日が続くけど、今日観てくれた人は、もう一度、そして人を誘って『ユキ』をよろしくお願いします!」と頭を下げました。
森下くるみさん、ほんとうにありがとうございました!

今夜は、前田弘二監督作品になくてはならない役者の宇野祥平さんがいらしてくださっていて、打ち上げは終電ぎりぎりまで盛り上がりました!

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『あるいは佐々木ユキ』の上映は2月1日(金)までです。
追加のイベントも2回あります。

1月27日(日)21時の回は、福間監督の朗読が映画へと誘います。1回限りのスペシャルイベント。監督自身の声と言葉から入っていく『あるいは佐々木ユキ』。またちがう表情がきっと見えてくるはず。ぜひとも立ち会ってください!

そして1月29日(火)21時の回上映後は、主演の小原早織さんと福間監督のトークです。とんでもない撮影エピソードが出てくること必至。のがせませんね!
みなさん、どうぞポレポレ東中野にいらしてください。


宣伝スタッフ:ぶー子
写真撮影:酒井豪




1月20日(日)、今夜のトークゲストは詩人の文月悠光(ふづき・ゆみ)さん。『あるいは佐々木ユキ』に、本人自身の役で出演してくださっています。
このトーク、ほんとうは14日の成人の日を予定していたのですが、あの大雪で急きょ今日に延期。ちょっと心配していましたが、変更の情報もしっかり伝わったようで、日曜日の夜にもかかわらず、文月さんのファンをはじめたくさんのお客様がいらしてくださいました。

文月さんはいま21歳。子どものころから詩人になることを志し、中学時代から詩作と朗読活動をつづけてきました。高校3年生の2009年に出版した第一詩集『適切な世界の適切ならざる私』が、中原中也賞と丸山豊記念現代詩賞を最年少で受賞して大きな注目をあび、都内の大学在学中のいまも、執筆と朗読活動に大活躍しています。

トークショー文月悠光-1

上映の余韻を残した、まだほの暗い壇上に文月さんが登場。劇中、冬の光をあびた公園で、聴衆を前に朗読したあの「横断歩道」の朗読です。劇中のそれとは、声も語り方も姿もずいぶんちがうように感じます。撮影から2年、それは、少女から大人になっていく文月さんの時間だったのでしょうか。
「保険おりるな。/だから/おりてこいよ、ことば。」
耳を澄ませて聴き入った場内に大拍手が起きて、福間監督が登場しました。

福間監督「すごくよかったね。半分は昔をなぞっているようでもあるけど、ずいぶん読み方が違う。声が変わったのかな」。
文月さん「撮影のときは風邪をひいていたので、声が出るかどうか心配でした」。
文月さんはこの映画を試写で一度見ていますが、劇場では初めて。福間監督がその印象をたずねました。
「撮影のとき、台本を渡されていたけれど、どんな映画なのかちっともわからなかった。試写で見せられて、自分が冒頭に登場していて、びっくりした」と文月さん。そして「そもそも、なんでわたしを出そうと思ったんですか?」と質問。
「2010年秋に、僕の詩のワークショップにゲストで来てもらったよね。正直に言うと、それまでは『天才少女』のイメージでいたんだけど、実際の文月さんは、はっきりくっきり出ているものがある人で、映画に出てもらいたいと思った。『小原早織+文月悠光』の映画というイメージがわいた」という福間監督です。

その後、撮影までの短い間にメールでのやりとりがあったのですが、「人魚ひめ」についての経緯を、ふたりは思い出しながら話します。
おとぎ話で好きなのはと問われて、「人魚ひめ」と答えたけれども、台本にあった「妖精だったら、水の精がいい」のセリフに結びつけて答えたわけではないんです、と文月さん。それに対して福間監督は、もともと出てきていた「人魚ひめ」のモチーフが文月さんとつながったので、それでいこうと決めた、と。
つまり、文月さんが「人魚ひめ」について語るところはドキュメンタリーで、ユキと話す「水の精」のところは、芝居をしているということなのです。
「こんなにやらされるのかって思った?」と福間監督。
「全体像が見えていなかったから、こんなものなのかなと。人のセリフの中に、詩がポンと出てくるなんて、不思議な映画です」

トークショー文月悠光-3

「横断歩道」を朗読してもらうことに決まったのは、文月さんの出演が決まって、主役の小原早織さんに『適切な世界の適切ならざる私』を読んでもらったら、「横断歩道」が一番好きだったことからきています。このことを福間監督は今日のツイートでつぶやいたのですが、それを読んで文月さんはとてもうれしかったそうです。

福間監督は、撮影から映画の公開までの2年の間に成人式を迎えた文月さんに、20歳の女の子って、どうなんだろうと尋ねます。
「人それぞれだけども、20歳から21歳よりも、19歳から20歳へは、ひとつ壁を越えるという感覚かな。十代最後の日に何をやるか、なんて友だちとドラマチックなことを考えたけど、実際は淡々とすごした」と文月さん。
それを聞いて福間監督は「文月さんの中にくっきりとある、人とちがう自分、人と同じ自分。それをインタヴューに撮ろうと思ったのを思い出した」。
「自分のなかでは、短いスパンの自分の持続というか、いくつかの点と壁を越えて、乗ってる電車は同じかもしれないけれど、通り抜けてきた先にいつかは大きな乗り換えがあるかもしれない。どこかで窓を開いて飛び降りるかな」と文月さん。さらにつづけて「この映画を見て、同世代の女の子より、なんかなつかしい感じを持った。まわりはみんな淡々としているけど、この映画は揺らぎがくっきり出ていて、ユキは自分探しをしている印象です」と。

さて時間も残り少なくなって、話題は「原稿用詩タイツ」です!
タイツブランドtokone から発売されている、文月さんの詩の言葉が原稿用紙のマス目に入った模様のタイツ! もちろん今夜の文月さん、身につけての登壇です。
「詩集は、詩がパッケージされているけど、タイツだと外にむかって足に乗っかっているから、詩をそれくらいの感じで読んでもらっていいのではと……」。
壇上だと見えませんが、あとでロビーでしっかり見せていただきました!

トークショー文月悠光-6

締めくくりに文月さんは言いました。「映画のなかのユキは、どれがユキでもいい。観る人がユキのみに感情移入するのではなく、それぞれのなかにユキがいる、そう思います」。
そして福間監督は、「今日の文月さんを見ていて、映画の文月さん、それは残ると思った。19歳の文月さんを撮りました。僕としては「やった!」という気持ちです」。

『あるいは佐々木ユキ』は2月1日まで上映が続きます。ゲストトークもまだまだあります。一度観た方も、まだ観ていない方も、どうぞ「ユキ」の中の自分に出会いにポレポレに足をお運びください。

トークショー文月悠光-8



宣伝スタッフ:ぶー子
写真撮影:松島史秋




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