1月27日。ポレポレ東中野での『あるいは佐々木ユキ』上映は、最後の日曜日を迎えました。今夜のイベントは、上映の前に福間健二監督の詩朗読をしてからその余韻のままに上映に入るという初めての試みです。
日曜日で、おまけに夜半から雪になるという予報にもかかわらず、たくさんの方がいらしてくださいました。

21時ちょうど、福間監督はかなり緊張気味に、ほの暗い壇上に立ちました。
場内の耳は、いまにも発せられそうな声に集中しています。

  今日も、川べりで/ささやく声をきいた
  「きみはまちがっている」

福間健二が、これまでに何度も朗読してきた「むこうみず」です。
この詩の最後のフレーズ(あちこちで引用されている名句?)、

  まちがっている
  でも、ものすごくまちがっているわけじゃないだろう

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ここまで読み終えてから、ひとこと挨拶があり、つづけて5篇の詩を読みました。
「トラブル」「青い家」「いま」「みずうみ」「光る斧」。

言葉は音となり、浮遊しながら、場内のすみずみに、わたしたちの身体に、じんわりと浸透していきます。耳がとぎすまされ、音としての言葉が、からっぽになった心にうっすらと積もっていきます。まるで夢をみているような心地よさがやってきます。

そして最後に「もうすこし」が読まれました。
『あるいは佐々木ユキ』のメインコピーのフレーズ
  
  もうすこし歩いて/もうすこしへんになってみる

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拍手もそこそこに、福間監督がするりと舞台をおりて、余韻のただよう暗い場内の席に着くやいなや、上映が始まりました。
冒頭の文月悠光さんのシーンから、色も音も匂いも空気もちがって感じられたのは、わたしだけではなかったでしょう。
いやー、なんともいえない心地よさです。
『あるいは佐々木ユキ』が「感じる映画」であることを、より鮮明に確認できる上映だったと思います。

声から映像へ。耳から目へ。
言葉=音がみちびく『あるいは佐々木ユキ』。
言葉は観念を離れ、音楽のようにこの映画を包み込む。
これはあたらしい映画の体験です。

ロビーに出てこられたお客様の顔には、満ちたりた笑みが見え隠れして、監督に「すばらしかった!」の声が寄せられました。

さて、もっと多くの人にこの体験をしてもらいたいと、スタッフ全員と監督の気持ちがすぐさま一致して、もう一度行なうことを決めました。

1月31日木曜日、上映最終日前日、21時の回です。
21時から15分間の朗読につづいて、上映を行ないます。
みなさん、どうぞこの稀有な映画体験を!
お待ちしています!

宣伝スタッフ ぶー子
写真撮影:松島史秋